るな@ちい
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すみません。周囲の人にはもう慣れているし、生き物を飼う上で覚悟していることだからと言い、そう自分にも言い聞かせていました。
でも、これで3匹目ですが、弱って命が消えつつあるのを見ているのは辛いです。かといって、飼い主の私がそれから逃げたら、もっと猫がかわいそうで逃げられません。
3匹それぞれ保護猫で、最後の猫はもともと別の人が飼っていたのが飼えない状態になり、当時完全ゲージ飼いでしたが、室内完全放し飼いで、すぐに甘えてくれるようになった猫です。ただし動物病院が大嫌いで、行く度大暴れになるので、病院も警戒するわ、私も複数人で相当準備してからでしか病院に行けませんでした。
3匹とも老衰死ですが、死に方はそれぞれでした。最初の猫も年を取ってから私が引き取った猫ですが甘えん坊で、食べない日は続くものの甘えるのは甘えて近くでじっとしていて、よく言う痙攣等もなく、ふと見たら心臓が動いてない、息をしてなかったです。
2匹目は姿がいない、ひょっとして逃走した? というぐらい前触れなくちゃんと食事もしていて、年齢は高齢でしたが、体の硬直状態から見ても、突然心臓か何かの発作だったようです。場所もテレビの裏で、少し休んでいた格好でした。
3匹目がきっと私が猫を飼う最後になると思っていますが、そう言いつつ、頭のどこかで寂しさのあまりまた飼ってしまう気もします。
慣れるなんてことはないんだな、と実感します。弱っていても近くに来て、ぐったりとしているのを見ると、長生きを願えばいいのか、もう苦しまないようにと願う方がいいのか、など、どう向き合えばいいのか、自分でも答えが見出だせません。
人にはけしてこういう話をしません。そんなことを言うぐらいなら猫なんて引き取らなきゃいいと平気で言うような人もいます。
出会ったこと、一緒に暮らしたことに悔いはありません。でも、別れの辛さというのはどこにどう持っていけばいいのでしょうか?
ID:K9pp2DuVU8c
2020年8月6日 19時32分ぺったんの多い回答
タツにゃん
はじめまして、こんにちは。
私は猫のみならず、犬や小動物など、いろいろな別れを経験してきました。
覚悟はありますが、別れの辛さに慣れません。
でも、辛さは思い出にできます。
子供の頃に寺の住職さまに
「辛ければ辛いほど、愛した証し」
「辛ければ隠さず、言葉に出しましょう」
「そうすれば、愛した子達に言葉は届きます」
「でも、ただ辛い辛いだけではなく、楽しかった嬉しかったことを思いつつ、泣きましょう」
「辛さも楽しさも嬉しさも、貴女の大切な思い出」
「時々、思い泣きましょう」
「そして笑いましょう」
「そうすれば貴女が愛した子も笑ってくれますよ」
と教えてもらいました。
仏教の教えかもしれませんが、子供の頃の私には心に響きました。
もちろん今も覚えています。
辛いなら飼わなければいいかもしれないけど、
その子の一生に関われなかった。
そんなの嫌です。
ちょっとエラそうに書きましたが、(すいません🙏)
現実のお友達に言えないのなら、日記に書いてはいかがでしょう?
このサイトには同じ思いをされた方々がいますよ。
ID:J26k7QNALQ.
ありがとうございます。
胸にじわっときました。今もぐったりと、でもそばから離れないでいるのを見ています。
この思いがまた徐々に変わってしまうのも、私は知っています。
けれど一緒にいた時間、慈しんで大事に思っていた気持ちはけして嘘じゃない、私自身の生きた証でもあるのだと…思うようにしたいです。
猫が亡くなってから遺骨やお墓をどうするべきなのか、亡くなった後にお別れをするまでの期間どうしたらいいのか、次の猫を迎えるまでには早すぎるか?など、猫の死に関しての質問はこちらのカテゴリをご利用ください。悲しみからどうしても抜け出せない方、安楽死について考えている方、死の受け止め方について不安がある方もこちらで質問をしてください。
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