第39回 泣いて泣いて泣きぬれて「ノラや」
このコラムを更新する頃になると
各地に台風がやってきます。
そんな中、皆様どうお過ごしでしょうか。
今回のコラムは内田百けん著「ノラや」のご紹介。
ごゆっくりご覧下さい。
愛猫の行方不明事件を経験したことが
ある方、手をおあげ下さい。
手をあげたついでに、あげた手の指先で
自分の脳天を触ってみてくださいな。
そして、片方の手の指先は自分のあごに。
オッケーですか。ちゃんとできましたか。
まだやってない人、騙されたと思って
ちょっとやってみてくださいな。
いいですか。
大丈夫ですか。
皆さんちゃんとできましたね。
ほーら、おサルの出来上がり。
そのまま左右に体を揺らしてみると
更におサルっぽくなれますよ。
で、コレが、何か「ノラや」に
関係があるかというと、
それが全くそんなこと無いわけで。
ついさっき、親戚の子ども達に同じ事をやらされ、
うっかりおサルになってしまったので、
皆様にもお裾分けというわけなんです。
いや、でも、先程うっかりとおサルに
なってしまった皆さん。
お詫びと言ってはなんですが、
おサルになってしまった皆さんは、
この本、とても楽しめると思います。
愛猫が行方不明になった時の焦燥感。
嫌なことばかりが頭に浮かび、
憔悴している猫の姿を胸に描き、
居ても立ってもいられずに外に飛び出して、
猫の名前を大声で呼びながら
人んちの軒下を覗き込む、なんて事も
平気でできちゃうくらいの焦燥感。
何度も経験したいもんじゃありませんよねぇ。
内田百けん先生も、愛猫行方不明事件の経験者です。
経験者というか何というか、この人を差し置いて
愛猫失踪を語るなかれ。
そう、「ノラや」は、愛猫の失踪を書いた本。
「ノラ」と名付けた愛猫の、失踪の顛末を書いた本です。
ノラが失踪してから、日記風な書き方になるのですが、
日を追うごとに憔悴していく百けん先生。
毎日泣き暮らしている様子が
手に取る様に分かります。
うっかりおサルになってしまった皆さんなら、
この気持ちが心底理解できるでしょう。
古き良き日本の文学。
良く出来た日本酒は水の如し、と
よく例えられますが、
この本はまさに極上の日本酒の様。
旧仮名遣いなど、一見とっつきにくそうに
思えますが、元々文章がとても巧い方で、
流れる様な感じの文を書きますので、
旧仮名遣いだろうと、感覚で理解できます。
ノラを探す広告を作り、何度も新聞に
折り込んで配布をするのですが、
その広告もまた、哀切たっぷりで
泣けてきます。
重鎮と呼ばれる歳で、世間的にも地位のある
百けん先生が、たった一匹の猫のことで
こんなにも憔悴し、感情を高ぶらせているあたり、
悲哀には満ちていますが、少しユーモアチックな
感じも受け、意外な方面からも楽しめますよ。
日記風に書いてある、と言いましたが、
これはほんとに百けん先生が書いた日記なので、
「風」ではありません。本当の「日記」です。
しかも、本にするにあたり、
普通は推敲などをするために読み返したり
するものですが、この頃の記録を見るのが
あまりに辛くて、そのまま編集者に原稿を渡した、
といういわく付きの日記。
生々しい悲しみが詰まっている文章だからこそ、
ここまで胸に染みいり、泣けてきます。
例えば、4月19日の日記。
雨曇又時時雨
ノラはまだ帰らない
自制しているけれど時時思ひ出して
涙が止まらなくなる。止むを得ない。
〜中略〜
矢張り三月二十七日の昼
ノラが木賊の所から行つた事を思ひ、
お勝手口へニヤアと云つて
帰つて来ないことを思ひ、
家内が「ノラちやんは」と
抱いていた事を思ひ、
いつ迄も涙が止まらない。
寝る前風呂蓋に顔を伏せて
ノラやノラやノラやと呼んで泣き入つた。
風呂蓋、というのは、いつもノラが
座っていた場所だというのを補足しておきます。
風呂蓋を見ては泣き、
外から猫の鳴き声が聞こえてきたと言っては泣き、
憔悴しているノラを思い描いては泣き、
あまつさえ風呂にも入らず体重も減ってしまい、
仕事も手に付かなくなった百けん先生。
端から見るとユーモアチックだけれど、
猫好きから見ると涙を誘うこの名エッセイ。
おサルになった人以外も、読んで損無し。
ノラや
ふとした縁で家で育てながら、ある日庭の繁みから消えてしまったノラ。愛猫探しに英文広告まで作り、「ノラやお前はどこへ行ってしまったのか」と涙を流し、日々一喜一憂する老百けん先生のあわれにもおかしく、情愛と機知とに満ちたエッセイ。
次回は8月19日更新予定!次回も是非見てくださいね!